益山聖地
益山聖地は、元仏教が扉を開けて本格的な教化活動を始めた戦法聖地で、ソ・テサン従事が主宰し、教話活動を繰り広げた全北益山市信用洞344-2番地の原仏教中央総部が位置する一帯をいいます。
ここには、ソ・テサン大従事者が頻繁に法石を開いた対角殿をはじめ、県原光大学の前身である唯一学林があった公会堂、ソ・テサン大宗社が駐在していた本院室、宗法室、金剛院、精神院、旧正院があります。
また、ソテサン大宗史と電産従事の成海が安置された城塔、永母殿、領事博物館など各種史跡や遺物、飼料などがあります。
初期教団の歴史的跡が保存されている中央総部は、教団を駐在する従法士をはじめ、最高の欠陥である水位団会、中央執行機関である校正院、監察機関監察院、議決機関である中央教議会があり、近くには常州船員、修道院、文化機関、各種福祉施設などがあります。
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